18世紀後半,江戸で山田検校が創始。当初は〈吾嬬(あずま)ことうた〉と称し,浄瑠璃風の節付や手付による新傾向の箏曲として,18世紀末ごろには江戸の代表的音曲の一つとなった。
箏数面と三味線一挺の編成を基本とし,独唱・斉唱を交えた歌い分けを行うのが特色。
三味線は撥・駒を含めて,長唄などに近い形のものを用い,箏は丸爪を用いる。
流祖の作品(〈作歌(さくうた)〉)および代々の山田流箏曲家によって創作された作品群がレパートリーの主体をなすが,関西系の地歌・箏曲の作品の一部も取り入れられる。
関東を中心に伝承が行われた。